八幡大神の出現と社殿の建立
八幡神の出現
宇佐神宮の由緒を伝える縁起によれば、主祭神である八幡大神が初めて姿を現したのは6世紀とされています。菱形池のそばに3歳の子どもの姿で現れた八幡大神は、「辛国の城にはじめて八流の幡(はた)と天降って我は日本の神となった、釈迦菩薩の化身で、誉田(ほんだ)天皇(すめらみこと)広畑(ひろはた)八幡麻呂(やはたまろ)である」というお告げ(託宣)を下しました。
その後、八幡大神は諸国を巡った後、712年には金色の鷹の姿で再び宇佐に降り立ちました。
※誉田天皇とは、5世紀に実在したとされる応神天皇のことで、灌漑用水工事や養蚕など大陸の進んだ文化を積極的に取り入れたといわれます。

社殿の変遷と小椋山への鎮座
鷹の姿で降り立った場所に、社を建てたのが駅館(やっかん)川の側にある鷹居神社です。鷹居神社に祀られた八幡大神は、その4年後(716年)に「この場所は街道の近くであり、道行く人々が無礼なので社を小山田(おやまだ)の林に移したい」という託宣を出しました。そこで小山田神社に社を遷して八幡大神が鎮座しました。その後、724年に「小山田の地は狭いため菱形池の近くの小椋山(おぐらやま)へ移りたい」という託宣が再び出されました。この託宣を受けて朝廷から宇佐宮に勅使を遣わしてどのように神社を建てるべきか祈祷が行われたのち、小椋山を切り開いて725年に社殿が完成して八幡大神が鎮座しました。
2025年は、小椋山に八幡大神が鎮座して1300年目の節目にあたります。
※小椋山(おぐらやま)は、現在宇佐神宮の上宮がある場所であり亀山とも呼ばれます。

