宇佐神宮の歴史

宇佐神宮を訪れた歴史上の人物・有名人

八幡社の総本宮であり歴史の舞台にもたびたび登場した宇佐神宮には、数々の歴史上の人物や近現代の著名人も訪れており、その一部をご紹介します。

最澄と空海

日本における天台宗の開祖である最澄と、真言宗の開祖である空海という平安時代初期の2人の高僧は、大陸の最先端の仏教を修めるために804年に唐へ遣わされます。入唐する前に、最澄、空海ともに宇佐宮を訪れて航海の安全を祈願しました。加えて、最澄は帰国して天台宗を開いた後に宇佐宮を再訪し、「大般若経」や「法華経」という経典を宇佐宮に奉納したといわれています。

平清盛

宇佐宮は天皇の代替わりや国家の大事の際に勅使が遣わされる神社であり、平安時代だけでも165回の勅使が遣わされたとされています。その中の一人として、平家の全盛期を築いた平清盛の名もあります。12世紀の後半、宇佐宮は九州一円に荘園をもつという全盛期を迎えており、その時に大宮司を務めた宇佐公通(きんみち)は清盛と深く関係を結んでいたと言われています。

宇佐公通の墓が残る安楽院

夏目漱石

『吾輩は猫である』『坊ちゃん』などで知られる文豪です。旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の教授として勤務していた1899年、冬休みを利用して宇佐神宮を訪れました。寄藻川沿いの小山田記念公園には、宇佐神宮を参拝する前後で漱石が詠んだ以下の句を記した石碑も建てられています。

呉橋や 若菜を洗ふ 寄藻川
兀(こつ※)として 鳥居立ちけり 冬木立
神苑に 鶴放ちけり 梅の花
ぬかづいて 日く正月 二日なり
松の苔 鶴痩せながら 神の春
南無弓矢 八幡殿に御慶(ぎょけい※)かな

※ 兀…山などの上が高くて平らな様子
※ 御慶…新年のお祝いのこと

夏目漱石が句に詠んだ呉橋

司馬遼太郎

『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などで知られる小説家です。エッセイ『街道をゆく 中津・宇佐のみち』の中に宇佐神宮が登場しています。境内の隅々を描写しつつ、歴史的な背景も述べられており、宇佐神宮を参拝する前に読むとガイドブックになるかもしれません。ここでは、その一節をご紹介します。

“私どもは、宇佐神宮の杜にいたった。まことに雄大神聖森林で、まわりは堀に囲まれている。表参道をとおり、堀を見、かつ朱塗の橋をわたると、大いなる朱塗の鳥居の前に出た。”

“頂上は朱と金であふれていた。屋根は黒っぽい茶の檜皮でふかれている。建物の方は朱塗で、黄金の金具が打たれ、樋までが黄金であることにおどろかされる。「宇佐の黄金樋(きんとい)」というのは、神社建築のなかでも、聞こえたものであるらしい。”

“宇佐の拍手は、三度でなく、四度である。(中略)巫女姿の娘さんから拍手のしかたをきき、わざわざひきかえしてきて、四度拍手を鳴らした。”

正参道の大鳥居

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