文化財の宝庫 宇佐神宮
1300年という長い歴史を持つ宇佐神宮には歴史的な建造物、神社の由緒をしるした古文書、境内の変遷を示す絵図、奉納された神宝、神仏習合の歴史を示す様々な祭、多様な動植物が生きる鎮守の森など、有形・無形を問わない多くの文化財があり、まさに文化財の宝庫と言えます。ここでは、その一部をご紹介します。
2つの国宝(宇佐神宮本殿と孔雀文磬)
文化財保護法に基づいて有形文化財の中で重要なものが「重要文化財」に指定され、その中でも世界文化の見地から価値の高いものが「国宝」に指定されます。大分県内には国宝が4件あり、そのうちの2件が宇佐神宮にあります。1つは「宇佐神宮本殿」、もう一つは「孔雀文磬(くじゃくもんけい)」です。
宇佐神宮本殿は、切妻屋根の建物が前後に並びその間に廊下と大きな樋が渡される「八幡造(はちまんづくり)」と呼ばれる神社建築で、主祭神の八幡大神・比売大神・神功皇后それぞれに同じ形の御殿があります。本殿の建物は正面からみて手前側が外院(げいん)、奥側が内院(ないいん)と呼ばれています。宇佐神宮の神々は、日中は外院にいて、夜になると内院で休まれるとされています。現在の宇佐神宮本殿は一之御殿が1860年・二之御殿が1859年・三之御殿が1861年に建築されたもので、八幡造の代表的な事例として昭和27(1952)年に国宝に指定されました。
孔雀文磬は、宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺にあった仏具で、僧侶が読経する際に調子をとるために叩く物です。その表面に二羽の向かい合った孔雀が鋳出されていることからその名前がつけられました。裏面には「承元三季己巳 八月五日寅丙 奉鋳之」「弥勒寺金堂 御磬自京遣之 法印祐清」という銘文があります。これにより、この磬が石清水八幡宮の別当であった田中祐清(たなか ゆうせい)が、承元3(1209)年に弥勒寺の金堂に奉納した物であることがわかります。いつ・誰が・何のために作られたかだけでなく、石清水八幡宮と弥勒寺の関係を示す一級資料であることに加え、磬自体の伸びやかで落ち着きのある造形や鋳造の巧みさなど鎌倉時代の磬を代表する一品であることから、昭和28(1953)年に国宝に指定されました。孔雀文磬は宇佐神宮宝物館に展示されており、間近で見学が可能です。宝物館ではこの他にも宇佐神宮の境内を描いた絵図、弥勒寺跡から出土した遺物、室町時代に奉納された神輿等、宇佐神宮の歴史を語る数々の資料を見ることができます。

太古から続く鎮守の森(天然記念物 宇佐神宮社叢)
社叢(しゃそう)とは、神社にある森のことで鎮守の森とも呼ばれ、宇佐神宮の上宮がある小椋山にはイチイガシやクスなどを主体とする常緑広葉樹の社叢が広がっています。常緑広葉樹は一年中緑色の葉をつけるのが特徴であり、宇佐神宮の境内では社殿や鳥居の朱色と社叢の緑が作り出す鮮やかなコントラストを一年中観ることができます。
宇佐神宮の社叢はイチイガシ等の高木、イズセンリョウ等の低木、ホソバカナワラビ等の草本類といったように様々な植物による森林の階層構造がよくわかれており、市街地に近い場所にあるにも関わらず原生林に近い状態で残る貴重な森として、昭和52(1977)年に国の天然記念物に指定されました。

境内全体が文化財(史跡 宇佐神宮境内)
宇佐神宮の境内は、八幡大神が初めて姿を現した菱形池、国宝である本殿を中心とする上宮とその周辺の社叢、神仏習合の原点ともいえる弥勒寺跡、道鏡事件の舞台となった大尾山といったように日本の歴史を語る上でも重要な場所です。また、境内の南側には、かつて弥勒寺の僧たちが暮らした村である宮迫があり、南東には宇佐神宮の主祭神である八幡大神または比売大神が姿を現したとされる奥宮の御許山(おもとさん)があります。
1300年以上という宇佐神宮の歴史の長さを体感できる建造物・遺跡・自然が一体的に残されているということは、八幡大神への信仰や神仏習合の歴史を考える上で極めて重要であり、境内全体と御許山はどちらも昭和61(1986)年に国の史跡に指定されました。
