ここにずっとあるのは温かな日常
海の城下町から電車で約15分のタイムトリップ。そこかしこに湯けむりが立ち上り、かすかに硫黄が香る。別府といえば世界一の源泉数と世界第2位の湧出量を誇る日本屈指の温泉王国。明治4年に港が整備され、一大温泉地となった。華やかな別荘文化も一時代を築き、多くの文化人も別府に足を運んだ。今でこそ「別府八湯」や「別府地獄めぐり」などで知られているが、日本初のバスガイドの考案など斬新なアイデアとサービス精神で温泉観光に尽力した人物、油屋熊八を抜きにして温泉観光の発展は語れない。別府駅前で熊八の銅像が今でも旅人を出迎える。
駅前通りから一歩入ると、窮屈なほどに詰まった路地裏が幾筋にも分かれる。そこには戦火を免れた近代建築のレトロな街並みや、大正時代の共同浴場など、独特な世界が広がる。
古き良き時代に溶け込むように残る共同湯は、いまだ現役。地元の人は風呂桶とタオル片手に自宅のお風呂代わりに毎日通い、当たり前に近所の人と湯に浸かる。中でも明治12年に誕生した竹瓦温泉は、共同湯の代表格。木造の唐破風造りで、共同浴場と砂湯が楽しめる。地元の人はもちろん、国際色豊かな別府ならではの異文化コミュニティの場となっている。
この景色、このふれあいは、湯の町の日常。その当たり前なことが一番幸せな瞬間だということに、ふと気づかせてくれる。
おかえりなさい。 昭和の町
江戸時代から昭和30年代にかけて、豊後高田の商店街は国東半島一の繁栄を見せた。そのころの商店街を再現したのが「昭和の町」である。豊後高田市の中心にある総延長550mの商店街には、昔から変わらないコロッケが人気の精肉店、子どもたちでにぎわっていたアイスキャンデーを売る店、老舗のお茶屋などが軒を連ねる。ガイドさんの案内でめぐると、よりリアルな昭和を体感することができるだろう。
どの店でも、店主とお客さんが笑顔で話しているのが印象的だった。昭和30年代は、まだ物は豊かではなかったが、そこには家族や近所のみんなが肩を寄せ合い、励まし合い、心が満たされて生きてきた温かな日常がある。昔ながらの対面販売が、あの頃と同じ、人と人とのつながりを実感させてくれる。
昭和30年代には、幸せとぬくもりを感じ、活力と元気が日本中にあふれていた。だから、当時の日々の営みを体感できるこの場所を訪れると、世代を超えて懐かしさを感じることができるのだろう。